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札幌地方裁判所 平成6年(行ウ)17号 判決

原告

渡辺ヤエ

右訴訟代理人弁護士

田中貴文

太田賢二

被告

滝川労働基準監督署長

小川知整

右指定代理人

土田昭彦

外五名

主文

一  被告が原告に対して平成三年一月七日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨

第二  事案の概要

一  本件は、亡夫の死亡がじん肺に起因する業務上の事由によるものであるとして、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料を請求した原告が、被告から支給しない旨の処分を受けたので、同処分の取消しを求めた事案である。

二  争いのない事実

1  原告は、渡辺三郎(大正一〇年八月二五日生まれ、以下「三郎」という。)の妻である。

2  三郎は、昭和二三年二月九日から昭和三八年六月一一日まで約一五年四か月間、北海道炭礦汽船株式会社空知鉱業所の坑内夫として粉じん業務に従事し、じん肺に罹患した。

3  北海道労働基準局長は、昭和五六年一一月三〇日付けで、三郎のじん肺をじん肺法によるじん肺管理区分「管理三イ」、療養「否」と決定した。三郎は、労働安全衛生法六七条に基づく健康管理手帳の交付を受け、以後年二回程度定期的に岩見沢労災病院においてじん肺健康診断等を受けていた。

4  三郎は、平成元年一二月二六日、満六八才で死亡した(以下「本件死亡」という。)。

5  原告は、本件死亡がじん肺に起因する業務上の事由によるものであるとして、平成二年四月一三日、被告に対し、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給を求めたが、被告は、本件死亡が業務上の事由によるものとは認められないとして、平成三年一月七日付けで、右遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。

6  原告は、本件処分を不服として、平成三年二月四日、北海道労働者災害補償保険審査官に対し、審査請求をしたが、同審査官は、平成三年六月二七日、右審査請求を棄却する決定をした。

7  原告は、右決定を不服として、平成三年七月三〇日、労働保険審査会に対し、再審査請求をしたが、同審査会も平成六年五月二六日、右再審査請求を棄却する裁決をした。

三  争点

本件の争点は、業務起因性の有無、すなわち、本件死亡が業務上の事由によるものであるかどうかである。

四  争点に関する当事者の主張

争点に関する当事者の主張は、以下のとおりである。

(原告の主張)

本件死亡は、以下のとおり、業務上の事由によるものである。なお、原告は、業務起因性について、以下の1ないし4を選択的に主張する。

1 本件死亡の原因は、じん肺の急性悪化による呼吸不全を原因とする死亡であると考えられ、本件死亡が業務上の事由によるものであることは明らかである。

この点、岩見沢労災病院の三上洋医師(以下「三上医師」という。)は、三郎の直接死因を急性呼吸不全、その原因を肺がんと診断している。しかし、一般に肺がんが数日間で急激に悪化するということは考えにくいところ、三郎にじん肺の粒状影とは異なる陰影が初めて確認されたのは平成元年一一月二四日であり、それからわずか三四日目に死亡していることを考えると、本件死亡を肺がんの急性悪化によるものと理解するのは困難である。

2 本件死亡の原因がじん肺の急性悪化ではなく、肺がんであるとしても、「じん肺症患者に発生した肺がんの補償上の取扱について」と題する労働省労働基準局長通達(昭和五三年一一月二日付け基発第六〇八号、以下「六〇八号通達」という。)は、「管理四」ないし「管理四相当」のじん肺患者に合併した肺がんについては、労働基準法施行規則別表(以下「別表」という。)第一の二第九号所定の「その他業務に起因することの明らかな疾病」として取り扱うこととしている。

三郎の死亡時のじん肺の程度は、「管理四相当」であったから、本件死亡は業務上の事由によるものと取扱われるべきである。

3 そもそも、現在の医学上確立した知見によれば、じん肺と肺がんとの間には因果関係が認められているのである。

したがって、本件死亡が肺がんによるものであるとしても、その肺がん自体がじん肺に起因して発生したといえるから、本件死亡は、業務上の事由によるものというべきである。

4 少なくとも、三郎は、じん肺性の粒状影のために、肺がんの発見が遅れ、適切な治療を受けることができず、そのために死亡したのである。

すなわち、三郎の場合、じん肺が肺がんの早期発見、早期治療及びその予後に悪影響を及ぼしたとの意味において、業務上疾病であるじん肺と死亡との間に相当因果関係が認められるのである。

したがって、本件死亡は、業務上の事由によるものというべきである。

(被告の主張)

本件死亡は、以下のとおり、業務上の事由によるものではない(なお、以下の1ないし4は、原告の主張1ないし4に対応するものである。)。

1 原告は、本件死亡の原因は肺がんの急性悪化ではなく、じん肺の急性悪化である旨主張する。

しかし、三上医師が三郎の直接死因を急性呼吸不全、その原因を肺がんと診断しているほか、岩見沢労災病院の安曽武夫医師(以下「安曽医師」という。)も、三郎の死因について、肺がんそのものの急性悪化とは考えにくいが、左肺下葉気管支に発症した原発性がんの発育により気管支閉塞を起こし、無気肺となり、感染症を併発し、呼吸不全となり死亡したものと判断しているのである。この点、三上医師は、末梢に発生した未分化腺がんが胸膜に浸潤して、がん性胸膜炎を起こし、大量の胸水がたまったことなどにより呼吸困難になったものと判断しているから、両医師の見解は相違するが、いずれにしても三郎の死因が肺がんそのものであることは明らかである。

2 原告は、三郎の死亡時のじん肺の程度が「管理四相当」であったから、本件死亡は業務上の事由によるものと取扱われるべきであると主張する。

しかし、三郎のじん肺は「管理四相当」ではなかった。すなわち、三郎は、昭和五六年一一月三〇日付けで、じん肺管理区分「管理三イ」、療養「否」と決定されて以来、岩見沢労災病院において定期的にじん肺健康診断を受けていたが、その後も「管理三イ相当」で推移しており、平成元年一一月一五日の安曽医師の診断においても、「管理三イ」に該当するとされているのである。

したがって、三郎のじん肺が「管理四相当」であったことを前提とする原告の主張は理由がない。

3 原告は、現代の医学上確立した知見によれば、じん肺と肺がんとの間には因果関係が認められていると主張する。

しかし、じん肺と肺がんとの医学的な因果関係の存在は、国内外の疫学的研究等によっても未だ確立した知見になっているとはいえないのである。

したがって、本件死亡の原因たる三郎の肺がんがじん肺に起因して発生したと認めることができないのは当然である。

4 原告は、三郎が死亡したのは、じん肺性の粒状影のために、肺がんの発見が遅れ、適切な治療を受けることができなかったためであるから、本件死亡は業務上の事由によるものである旨主張する。

しかし、死亡が業務上の事由によるものと認められるためには、条件関係のみならず、業務もしくは業務上疾病と死亡との間に相当因果関係が認められなくてはならない。一般に、ある結果の発生について複数の原因が競合している場合に、特定の原因と結果との間に相当因果関係が認められるためには、結果の発生につき、その特定の原因が他の原因と比較して相対的に有力な原因となっていることを要するというべきである。したがって、業務上疾病であるじん肺の存在が、業務外の疾病である肺がんに対する治療等の機会を喪失させ、その結果死亡したという場合に、業務起因性があるというためには、わずかでも医療実践上の不利益があれば足りるというものではなく、その不利益の程度は著しいものでなければならないと解すべきである。

しかるに、三郎は、「管理三イ」ないし「管理三ロ」の状態にあったにすぎず、大陰影もなく進展したじん肺症と認定されるに至っていたわけではないのであって、原告が医療実践上の不利益として主張しているのも、肺がんの発症がじん肺の粒状影のために非常に分かりづらい状態にあったというにすぎないのである。

そうすると、肺がんは、早期には無症状に経過するものが多く、もともと発見しにくい疾患であることをあわせ考慮すれば、仮に三郎がじん肺の存在によって医療実践上の不利益を受けたとしても、その不利益は非常に小さいものであったというべきである。

したがって、この点からも、本件死亡が業務上の事由によるものとはいえない。

第三  争点に対する判断

一  本件死亡の原因について

1  三郎のじん肺の程度及び死亡に至る経緯等

前記争いのない事実、証拠(甲二五、五一、五三、五七、五八、六一、六二、六七、七〇の一ないし一〇、七一の一ないし二八、乙一、一〇、一一、一二の二、一三、一四、二〇ないし二二、三上、西谷、原告)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(一) 三郎は、昭和二三年二月九日から昭和三八年六月一一日まで北海道炭礦汽船株式会社空知鉱業所の坑内夫として粉じん業務に従事し、じん肺に罹患した(争いのない事実)。

(二) 北海道労働基準局長は、昭和五六年一一月三〇日付けで、三郎のじん肺をじん肺管理区分「管理三イ」、療養「否」と決定した。三郎は、健康管理手帳の交付を受け、以後ほぼ年二回定期的に岩見沢労災病院において健康診断を受け、その際胸部エックス線写真撮影等を受けていたが、臨床症状に目立った変化はないと判断され、じん肺管理区分については、「管理三イ」のまま後記のとおり平成元年一一月一五日まで推移した(争いのない事実、乙一一等)。

(三) 三郎は、平成元年においては、五月一五日及び一一月一五日に岩見沢労災病院の安曽医師による健康診断を受けた。

同医師は、右五月一五日の診察の際、三郎の左中肺野に陰影を認めたが、肺機能障害の程度は「Fマイナス」(じん肺による肺機能障害がない状態)で、じん肺の程度は「管理三イ」のままと判断した(甲六一、乙一一、一四)。

また、同医師は、右一一月一五日の診察の際、五月一五日の段階でも認められた左中肺野の陰影が増強していることに気づいたのでカルテに要注意と記載したが(甲五三)、じん肺管理区分については、肺機能障害の程度に顕著な変化がなかったため、「管理三イ」のままと判断した(乙一一、一四)。

(四) ところで、三郎は、昭和六一年六月ころから、全身倦怠、動悸、息切れ、喀痰、咳漱等の症状を訴え、北見市内の西谷暹医師(以下「西谷医師」という。)の診察を受け、同医師からは右症状をけい肺(第三症度)、慢性心不全、動脈硬化性高血圧症と診断され、平成元年四月以降においては、数日おきに西谷医師から血圧測定等の診察を受けていたところ、同年一一月二四日に至り、全身倦怠、動悸、息切れ、喀痰、咳漱等の症状が急激に増悪した。西谷医師は、同日撮影した三郎の胸部エックス線写真の所見で左肺下野にけい肺とは異なる雲状の陰影を認めたので、同日以降各種の検査を実施したが、病名を確定することはできなかった(甲六二、七一の二六、九八の六ないし八、乙一二の二、西谷)。

(五) 三郎は、平成元年一二月二〇日、西谷医師の勧めにより岩見沢労災病院で診察を受け、直ちに入院したが、入院時より、咳・痰が多く、全身倦怠・食欲不振等の症状を訴えていた。右入院後、安曽医師は、胸部エックス線写真の所見で、①左中肺野に広範囲な陰影、②左肺野外側に淡い陰影、③左胸水貯留を、また、動脈血検査により低酸素血症を認めたことや、喀痰細胞診の結果を受け、同月二五日に至り、三郎の疾病を未分化腺がんであると確定した(甲五八、乙一一、三上)。

(六) 岩見沢労災病院においては、三郎に対し、酸素療法、抗生剤投与、補液等の治療を施したが、前記症状は改善されず、同月二五日夕方には、両肺に肺うっ血を思わせるすりガラス様の陰影が出現し、乏尿、呼吸困難、低酸素血症が増強した。三郎は、その結果、間もなく呼吸停止・心停止状態になり、心蘇生術に一度は反応したものの、平成元年一二月二六日午前四時四〇分、急性呼吸不全により死亡するに至った(甲五八、乙一一、一三、一四、三上、弁論の全趣旨)。

(七) 三郎は、肺の末梢に発生した未分化腺がんが胸膜に浸潤し、がん性胸膜炎となり、大量の胸水がたまったことなどにより、呼吸困難になり、死亡したものであって、肺がんに起因する急性呼吸不全が直接の死因である(乙一三、三上)。

(八) 岩見沢病院においては、三郎がじん肺により健康診断を受け始めた当初から、平成元年一二月に三郎が入院するまで、肺がんを疑った検査等はしていなかった(三上、弁論の全趣旨)。

2  じん肺罹患と肺がん発生の困難性について

証拠(後掲各号証、三上)及び弁論の全趣旨によれば、次の各事実を認めることができる。

(一) エックス線写真をみると、三郎の左右の肺には、じん肺であると診断された昭和五六年ころから、左右均等に約1.5ないし三ミリメートルのいわゆる粒状影が分布し、基本的に、このような状態のまま、昭和六三年五月ころまで推移してきた(乙一六、一八、一九、二三)。

(二) 昭和六三年一一月一七日に撮影された三郎の胸部エックス線写真をみると、全肺の粒状影はほとんど変化がないが、振り返ってみると、左中肺野の陰影がこれまでのものより少し濃くなっているように感じられる状態になっている(乙二〇)。

(三) 平成元年五月一五日に撮影された三郎の胸線エックス線写真をみると、全肺の粒状影は特に増えていないものの、左中肺野に陰影の異常が認められ、これは、振り返ってみると、じん肺性の変化とは考えにくいものである(乙二一、甲五三)。

(四) 平成元年一一月一五日に撮影された三郎の胸部エックス線写真には、左中肺野に三センチメートル四方ぐらいの腫瘤陰影が認められ、結局これが原発性の腺がんであったと判断される(乙二二、甲五三)。

(五) 三郎の左右の肺には、右(一)のとおり、じん肺による約1.5ないし三ミリメートルの粒状影が分布しているため、新たにがんが発生したとしても、このような腫瘤陰影を、エックス線写真上じん肺による粒状影と判別することはきわめて困難であった。仮にじん肺による粒状影がなければ、三郎の場合、陰影の異常が認められた平成元年五月一五日の段階で、肺がんを疑ってがん検査をすることが考えられたし、昭和六三年一一月一七日の段階でもその可能性があった。

(六) じん肺による肺機能障害の具体的症状は、咳嗽、喀痰を中心とする呼吸不全であり、三郎が本件死亡直前に岩見沢労災病院に入院した際も同様の症状を訴えていた(乙一一)。

(七) 一般に腺がんの場合、投薬等の化学療法は副作用が強く、効果も少ないとされていることから、外科的治療を試みることになるが、三郎の場合、昭和六三年一一月一七日の時点で肺がんであることが判明していれば、当時の六七歳という年齢及び呼吸機能の状態からして、手術は可能であったのであり、右時点と比して肺機能障害の程度に特に変化がみられなかった平成元年五月一五日の時点においても、手術は可能であったと考えられる(三上、弁論の全趣旨)。

3  当裁判所の判断

(一) 本件死亡の原因については、前記認定のとおり、肺がんに起因する急性呼吸不全であって、いわゆるじん肺死でないことは明らかである(したがって、原告の主張1は理由がない。)。

(二) 前記認定にかかる1及び2の各事実を総合すると、本件死亡の原因となった原発性の腺がんは、昭和六三年一一月一七日ころには発症していた可能性があり、そうでないとしても、平成元年五月一五日の時点では発症していたと考えられるところ、じん肺性の粒状影の存在のため、胸部エックス線写真上、右粒状影から腫瘤陰影を判別することが非常に困難であり、そのため、このころ三郎が受診した岩見沢労災病院では、三郎の肺がんを疑った検査等をしなかったこと、また、じん肺の症状と肺がんに起因する症状とは同様のものであるから、三郎自身、自己の増悪した症状がじん肺以外の疾病によるものとは容易に自覚し得なかったと考えられること、仮に平成元年五月一五日の時点で肺がんが発見されていれば、三郎の六七歳という年齢や肺機能の状態が「Fマイナス」であったことからして手術ができる可能性は高かったと考えられること、しかし、実際に肺がんが発見さたれ平成元年一二月二五日の時点では、肺がんに対する治療はもはや手遅れとなっており、三郎は、肺がんに対する治療を受けることができないまま、その翌日に死亡するに至ったことが認められる(なお、西谷医師は、仮に平成元年五月一五日の時点で肺がんを発見していたとしても手術はできなかったであろうと述べるが、同医師は呼吸器系の専門家というわけではないので、呼吸器系の専門医である三上医師の前記証言等に照らし、採用しない。)。

そうすると、三郎においては、じん肺性の粒状影のため肺がんの発見が遅れたところ、初期の段階で肺がんが発見され手術がなされていれば、少なくとも平成元年一二月二六日の本件死亡あるいはそれに近い時期の死亡は避けられていたと考えられるのであるから、その意味において、業務上疾病であるじん肺と本件死亡との間に条件関係を認めることができるというべきである。

二  本件死亡の業務起因性について

1 業務起因性の判断基準

労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給の対象となるためには、労働者が業務上死亡した場合であること、つまり業務起因性を要するところ(一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条)、業務上疾病に罹患した労働者が死亡した場合に業務起因性があるというためには、当該業務上疾病と当該死亡との間に条件関係が存するだけでは足りず、両者の間に相当因果関係があることが必要である。そして、業務上疾病に罹患した労働者が業務外の疾病を併発して死亡した場合に、右にいう相当因果関係があるというためには、業務上疾病が死亡の唯一の原因となった必要はないが、業務上疾病と業務外の疾病が死亡について共働原因になったというだけでは足りず、業務上疾病が相対的に有力な原因となったことを要するというべきである。

したがって、業務上疾病の存在が業務外の疾病に対する治療の機会を喪失させ、その結果死亡したという場合に業務起因性があるというためには、わずかでも医療実践上の不利益があれば足りるというものではなく、その不利益の程度が著しいものでなければならないというべきである(被告の主張4は、この限度で正当というべきである。)。

2 本件死亡について

前記認定のとおり、三郎は、業務上疾病であるじん肺の存在により肺がんの発見が遅れ、年齢的・肺機能的にみて可能であった手術を受けることができなくなったと認められるところ、手術を受けていれば、平成元年一二月二六日あるいはそれに近い時期の死亡を避けることができたと考えられるのであるから、三郎が被った医療実践上の不利益は甚大であるといわざるを得ない。

被告は、三郎のじん肺が「管理三イ」ないし「管理三ロ」の状態にあったにすぎず、大陰影もなく進展したじん肺症と認定されるに至っていたわけではないのであって、肺がんの発症がじん肺性の粒状影のために非常に分かりづらい状態にあったというにすぎないから、三郎の受けた医療実践上の不利益は非常に小さいものであったと主張する。

しかし、じん肺による陰影が大陰影であったかどうかに関わらず、三郎においては、じん肺性の粒状影の影響により、肺がんの発見が大幅に遅れ、肺がんに対する治療を全く施されないまま肺がんが増悪し、本件死亡に至ったことは既述のとおりであるから、三郎の受けた医療実践上の不利益が小さいものであったとは到底考えられず、被告の右主張は理由がない。

以上によれば、三郎の場合には、業務上疾病であるじん肺が死亡について相対的に有力な原因となったことが明らかであるから、本件死亡につき業務起因性を認めるのが相当である。

3  六〇八号通達について

なお、六〇八号通達において、じん肺法による管理区分が「管理四」で現に療養中のもの及び「管理四相当」であると認められる者に発生した原発性の肺がんのみを業務上の疾病として取り扱うものとされているので、この点について付言する。じん肺法による管理区分は、本来粉じん作業に従事する労働者等の健康管理を行うためのものであって(四条二項)、業務起因性について枠を設定するものではなく、また右通達は、保険給付申請者の立証を軽減する等の目的から類型化した基準にすぎないから、その基準に合致しない場合であっても、個々の事案において業務と疾病との相当因果関係が認められるときには業務起因性が肯定されるべきものであることはいうまでもない。

したがって、じん肺の程度が「管理四」又は「管理四相当」でない場合であっても、じん肺により、肺がんの発見が遅れ、著しい医療実践上の不利益を受けたような場合には、業務起因性を否定する根拠はないというべきである。

三  結論

よって、原告に対し、遺族補償給付及び葬祭料を支給しない旨の本件処分は、その余について判断するまでもなく、違法であり、その取消しを求める本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官一宮和夫 裁判官伊藤雅人 裁判官小原一人)

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